地域人史-Interview-

地域の応援者がいるからこそ粘り強く頑張れる!地元資本の循環だけでなく外貨を稼ぎながら若手の声を反映させる地域づくりとは
北海道夕張市
今回は橋場 英和さんに
お話を伺いました

橋場 英和(はしば ひでかず)さん:合同会社 鹿ノ谷駅代表社員
北海道旭川市出身。自動車事業を長年営み続けるも経営が傾き、思い切って業態を転身させて夕張市へ移住。飲食業を中心に市内で事業を展開する中、よそ者視点で地域を俯瞰しながら地域住民の暮らしを豊かにするべくサービスを提供。地元資本の循環だけでなく、外から来た人が地域にお金を落としてもらえる仕組みづくりを日々考えている。夕張市在住。
地域移住が新聞やニュースで取り上げられる今、行政や自治体の制度のサポートもあって移住へのハードルが比較的低くなって夢を抱く人も増えています。
しかし、この流れが浸透する前、試行錯誤しながら地域移住を実践し、自分で仕事を創って地域へ貢献する社会起業家的な骨太なプレイヤーとしてキーパーソンになっている人も数多くいます。
今回は、そんな人にスポットを当てて鳥の目虫の目視点で地域を何とかしたいと考えて動いている橋場さんのお話をお届けします。
ジンギスカン料理専門店を営むようになったのは、大きな失敗からの教訓を生かして業種を変えて挑戦したかった熱意があったから
旭川出身の橋場さんが夕張に引っ越してきたのは2009年のこと。それまで旭川で営んできた自動車事業が立ち行かなくなったことがきっかけだ。
「一度ダメになった人生なので、発想を転換して今までとは違うことをやってみたいと思い、いろんな地域へ行って漁師や農家といった1次産業を体験して普段やれないことに挑戦しました」(橋場さん)
1次産業に携わる中、1つの建屋の中に複数の飲食店が軒を連ねる複合型レストラン「ゆうばり屋台村」への出店を募集する新聞広告を見つけたことをきっかけに、夕張での人生の再出発を本格的に考え始めた。
「屋台村の広告を娘と妻が見つけて『ここで仕事したい』と言いました。これまでの漁師と農家の知識を得ることで目利きに自信が持てるようになり、仕入れの方は大体できるという仮説もあったので運営事業者に交渉しに行きました」(橋場さん)

しかし、事業者から提示された基本条件は地域雇用が前提であったため、地域外から移り住んだ橋場さんは対象外と言われており、何度も交渉するも断られたという。
そう諦めかけていた橋場さんだったが、新規開業予定のジンギスカン料理専門店舗の営業者が出店を辞退。事業スペースが空白になってしまうことを懸念した事業者が橋場さんへ仕事の依頼をしてきたという。
「事業者から言われたのは『立ってるだけでいいからとりあえずジンギスカン屋さんをやってくれ』と。複雑な思いはありましたが、結果的に妻のお店も含めて2店舗出すことになって思わぬ形ですが、夕張でスタートを切ることができて良かったです」(橋場さん)
どんな課題にぶつかっても本気で屋台村のために注力できたのは、顧客からの強い励ましがあったから
2009年から橋場さんは屋台村で10年間事業を続ける中で、他の店舗6つを取りまとめる「村長」も兼任。「学び多き10年だった」と橋場さんはふりかえる。
また、屋台村に来る人は屋台の雰囲気を感じて入ってくることを配慮しながら、かつ、顧客の取り合いにならないよう、常に店主同士のコミュニケーションを取りながら雰囲気を良くするよう心がけていたそうだ。
「色んな悩みごとや問題もありました。その時はもう必死でしたし『なにくそ!』と悔しさをバネに踏ん張ることもありましたけど、いちばん元気の源はやっぱりお客さんが僕のところへ来て『頑張ってください』と手を握って帰っていく姿でした」(橋場さん)

店主の手を握って『頑張ってください』と励まされることはなかなかない。しかし、橋場さんはそう言った人情味あふれる体験をすることで本気でがんばろうと思えるようになったのだ。
その後、橋場さんは自分自身の経験を生かして屋台村の雰囲気づくりに注力していくようになった。それはリピーターが増えてまちに滞在してくれるきっかけになってファン作りの動力源にもなると仮説を持っていたからではないか。
地域を飛び出して外貨を稼ぐことで地域社会に貢献していくための生業を社会事業として持続可能な形に
今では屋台村の事業から離れた橋場は地域社会の現状を考えるようになり、高齢者のためのお弁当屋兼食堂・「じじばば食堂」を地域密着の形でオープンし、平日営業を基本スタイルとして営んでいる。それは自分ができることを生かして持続可能な事業を仕掛けていくことで、まちに暮らす方々のニーズに応える想いが背景にあるからだ。
「最近、近所の大きなスーパーが経営破綻しました。周辺には住宅がいっぱいあって高齢者の人たちが買い物に行ける場所だったんです。
このままだと生活が成り立たなくなってしまう。これまで他にも飲食店やスナックといった飲み屋も消えていきました。なくなっていくのは仕方ないとしても、それに代わる何かは一向に用意されない。これはやっぱり何か手を打つべきではないかと思いました」(橋場さん)
まちに住む人のために何かできることはないか。そう考えた橋場さんは「じじばば食堂」を経営しながら、あの手この手で考えを巡らせて福祉施設等へ焼き芋の販売や診療所で物販も行っている。

「利用者さんを含めたみなさんが、僕が来るのをいい笑顔で待っていてくれるんです。買い物場所がない状況なので、これからもまちの人たちのニーズに応えられるよう商品を届けていきます」(橋場さん)
しかし、地域で循環するカネには限りがあり、まちの人たちをターゲットにした事業だけでは生活できない。そう考えた橋場さんは札幌の飲食ブースや大きなイベントなどへも出店を行うようになった。
橋場さんは地域社会に貢献していくための生業を社会事業として持続可能な形にするために実業として稼げることを地域を変えて取り組んでいくようになった。これは他所のまちも見ながら、現地の事情を知りながらもインプットの機会を増やして地元でアウトプットするスタンスをとっているのではないか。
廃駅を起点に人が集まることは、地域と人が繋がっていくだけでなく地域にお金が落ちて雇用創出にも
橋場さんの勢いはとどまることを知らない。最近は使われなくなった鉄道施設をコミュニティスペースとして活用するために購入し「合同会社 鹿ノ谷駅」を立ち上げるといった遊休施設の有効活用にも力を注ぐ。地域住民だけでなく、地域外の人たちも交わることでまちに愛着を持ってもらえる場所にしていきたいという。

遊休施設「鹿ノ谷駅」で行われた秋まつりの様子。線路沿いでは来駅者がBBQをして団らんを深めたり、トロッコを運転できるコーナーがあるなど集う人々が笑顔で親睦を深めている姿があった(2023年9月)。
「小さな駅のこじんまりとした空間は、人と地域をつなげる一つの手段です。昔、町内会の絆が深かったのは、小さなコミュニティの集合体が存在したからではないかと仮説を持っています。
駅を起点に人が集まり、知らない人たちが顔見知りになって口コミで訪れるひとが増えていく。ここに駅が現役だった頃の昔懐かしい雰囲気を体感するために様々な人が集まればいいなと思っています」(橋場さん)
しかし大事なのは地域外から足を運んでくれた人がまちにお金を落としてもらうこと。外貨を稼げるようになれば雇用創出にもなり、人が集まることにもなって誰もが面白がれる場所になれるのではないか。まだまだ駆け出しではあるが、橋場さんはやりがいも感じているそうだ。
「養護学校の生徒が駅にあるトロッコに乗りに来るようになり、それをきっかけに私のお店に食事に来るようになりました。こうして人が繋がっていくことでまちが活性化する一助になればいいですね」(橋場さん)
旗振り役から次世代へとバトンを繋ぐ黒子へ。地域に住んでいても客観的視点で見つめられる意識をもつこと
これまで様々なことを地域で仕掛けてきた橋場さんだが、自らプレイヤーとして挑戦を続ける中でよそ者としての謙虚な姿勢も忘れない。それは地域を冷静に見つめる客観的視点を持ち、内省を繰り返しながらできることを実践していくための重要なプロセスなのだ。
「夕張の本当の良さはまだまだ僕は知らないと思うんです。よそ者がまちを見る視点を常に持って地域に住む人たちが抱く主観的視点に偏りすぎずに隠れている良いところを探していきたいです」(橋場さん)
まちのために、新しい発想の取り組みを手掛けながらも様々な地域の様子を伺い、地域を俯瞰する視点を持ち、かつ、よそ者としての橋場さんは地域活動やまちづくりは押しつけるものではないと強調する。
それは「あの人が思った以上にやってくれる」と期待値を大きく設定しないことや相手に干渉しすぎないことが良い関係性を築けるポイントであると橋場さんは話す。

「合同会社 鹿ノ谷駅は僕と鉄道愛好家で鉄道物販を営むもう一人の役員と一緒に運営しています。僕は僕のやり方で好きなようになってるし彼のやることに関しては一切口を出しません。
お互いの価値観は違っていても目指すゴールが同じなので、協働する中で良い刺激を受けることもあります。また、目標値を上回るアクションで返してくれるので彼にはとても感謝しています」(橋場さん)
本気でまちを変えていくには、誰かを自分の物差しで測らず若者たちの声を反映させること
最近は地域に関心を持ち、自分の能力を生かして地域や企業・団体のプロジェクトや地域活動に関わるプロボノでの取り組みも増えている。
これらで重要なのは報酬として対価を払わないことが多い中、安い労働力として扱わないこと。それぞれが仕事や生活を持ちながら関わってくれることに感謝の気持ちを忘れてはいけない。橋場さんも同様にそこを理解した上で自分の物差しで人を測らないよう心がけているという。
人口減少、スマートフォンの普及、新型コロナウィルスのまん延などで変化していく時代の中、自分が地域においてどのような立ち位置でいるべきかも橋場さんはこう語る。

「今の若者はチャレンジ精神が強いので、彼らの地域に対する意思や動機を伺いながら背中を押してあげるのが私も含めた年配の人たちの役割だと思っています。
僕は年相応で考え方が変わってくると思います。自分の感覚に合った等身大な形で地域参画しつつも彼らの感覚や意見を積極的に取り入れて主体的に活動できるよう見守ってあげるべきだと思っています。
地域に根付いた大人たちは自分のまちしか知らない人も多いです。地元の若者には、まちの外に出て様々な情報を吸収して故郷を俯瞰することで面白いことが起こるかもしれません」(橋場さん)
年配者が先頭に立つのではなく、いかにジョイントとして次の世代へつないでいくか。また、まちを本気で動かしていく中で自分がどういう立場でいるのがベストなのかを考えられる人が地域を変えていけると橋場さんは語気を強めた。
結び-Ending-
「常に居心地が悪いところにいた方が面白い」と話す橋場さん。前に進むために安定を捨てて進んできた橋場さんだからこそ、まちに暮らす方々の笑顔が生み出されてきたのだと思いました。
橋場さんの想いが詰まったバトンを受け継ぐ若者から目が離せません。次世代へのバトンの渡し方に悩んでいる人は現地の人たちに会うために訪れてみてはいかがでしょうか。
多世代が集まるここには何かヒントが隠されているはずです。

■企画・著作
佐々木 将人 (Masato Sasaki)
就職を機に兵庫県から北海道に移住した社会人4年目。
人好きで、人×地域をテーマにした記事制作が得意。
【取材データ】
2023年12月4日
【監修・取材協力】
合同会社 鹿ノ谷駅
・橋場 英和様
取材にご協力いただきました関係各諸機関のほか、関係各位に厚く御礼申し上げます。